TVCMプランナーのことなど

 自分が過去やってきたことなど、あまり思い起こす必要がなくなってきた今日この頃。恐ろしいことに、日本にいた頃何をしていたのかさえ、すらすら思い出せなくなってしまいました。やだやだ、ほんとにトシだなあ、こりゃ。

そう、私はTVCMのプランナーをずっとやっていたのでした。今でも時々広告代理店などからお仕事の発注がありますが、それでも自分がプランナーをやっているなんて、なんだか遠い昔のことのような気がします。さて、「どういうTVCM に関わっていましたか?」と時々聞かれます。ところがこれがもう果てしなくいろいろ。駄菓子からクルマまで、何だってアイデアを出したものよ。

 初めは、葵プロモーションというTVCMの製作プロダクション(今や業界で知らない人はいない大手広告代理店になっています。)で、芋虫のような先輩男にいじめられ、たとえ40度の高熱があっても働かされ、「明日までにコンテ50案作ってこい!」なんていう、スポ根の名残のようなことを命ぜられ、徹夜なんて当たり前という恐ろしい毎日でありました。でも、これがまさにあの頃の業界のやり方だったんだよね。

 特にPM、つまりプロダクション・マネジャーなんて最悪にかわいそう。寝る暇もなく働いているのに、ディレクターやプロデューサーからは「バーロー!てめえ、何やってんだ!」と毎日どなり散らされ、モデルやタレントから「中村屋の肉まんが今すぐ食べたあい!」と言い出されたら、10分以内に買って来ないと、クライアントから「別の代理店にしてもいいんだけどね、ボクは」と脅されます。20代の若さで過労死してしまった友達も何人かいるんだから。

 さて私は結局そのプロダクションで5年働いた後、電通というでっかい広告代理店でクリエイティブ・ディレクターという重々しい、そしてかっこいいタイトルをしょって働いたりしていました。でもどうも自分にはこういうかっこいい系のお仕事は不向きで、そこから去った後はしがないフリーランスになり、今に至っています。

 一見華やかな業界だし、確かに華やかな業界でありまして、売れっ子プロデューサーや代理店の男たちの多くは、モデルやフライトアテンダント、タレントなんかと結婚しています。モテるのよね、業界男は。しかし業界女はどんどんオトコに縁がなくなっていく。同じ業界女でも、スタイリストやヘアメイクはモテる。この類の女たちはセンスがよくってきれいだから、男がわらわらと寄ってくる。

 ところが、プランナーとなると、もはや鼻にもかけてもらえない。地味すぎるのだ。どう転んでも華やかな表ステージに出ることはない。裏方さんである。私らもそれが十分わかっているから、もうお洋服なんかにゃ気を使わない。どうせ週末もひとりで部屋で一日中パジャマ着て、髪の毛しばって、うなりながらアイデア出しているだけなんだから。男のプランナーもしかりである。暗いおたくっぽいイメージがつきまとうので、モテようがない。

 でも本当は、プランナーっていちばん重要なお仕事なんであります。TVCMのいちばん基本になるアイデアを出すわけで、これがなければ、実は何も始まらないんだから。たとえばのど飴のコマーシャルを例に出しますと、こののど飴は丸いかたちをしているところが斬新で変わっている。丸いのど飴って、今までなかった。それをまず言いたい。じゃあどうやったら丸いってことが消費者にわかってもらえるか、を考えます。「おマルマルマル」とCMソングを作って楽しく表現するもあり、CG使ってかっこよくとがった表現にするもあり、イチローに出演してもらっておんぶにだっこするもあり。そういういろんなアイデアを地道にひとりで孤独に考えるわけであります。

しかし、それが実際TVCMとしてお茶の間に登場することは、まあ100案中1案、ってところかなあ。昔友達のプランナーが言っていました。「ぼくは1年に1回、水子供養やっているのだ」。つまり、まるでわが子のようにいとおしい、血のにじむような苦労をして絞り出したコンテ用紙の山を、1年に1回、潔く捨ててしまうのであります。「さぞ、この世のお茶の間に出てきたかったであろうなあ」と涙しながら。そのくらい使い捨て度の高いお仕事なのよね、プランナーなんてのは。



イラストとかキャラクターデザインのこと

 その当時、私はまったく絵というものが描けませんでした。葵プロモーションというプロダクションに入ったのは、コピーライターとしてでありましたので、絵つまりコンテは書けなくてもかまわなかったのです。だから、あの頃の私のコンテは、人間をマルとバツで、ビルを四角で書いています。笑っちゃいます。

 美術的なセンスも全く持っていません。たとえば、ほらパースってあるでしょ。遠近です。これ、当時の私にはこれが全くわからなくて、どの絵も銭湯のバックの絵みたいに平べったく描いてしまっていました。その上いまだに色音痴であります。私の色の組み合わせにはたまげる、とグラフィックデザイナーの友達に言われます。全く、こういう奴が偉そうに、「ふふん、イラストレーターよ、私しゃ。」なんて言うと、きちんと美大なんかで勉強して来た人に申し訳ないんだが、でもでも私は絵を書くことがとても好きです。

 さて、当時のお話に戻ります。私はまわりのプランナーやディレクターたちがすらすらと自由自在に言いたいことを絵に書いて表現するのがうらやましくてたまりませんでした。絵ってのは突発的で強力な表現ができるんです。放っておいても飛び込んでくる。一発で何が言いたいのか誰にでもわかる。 文章ってのはこうはいかない。読む人に考えてもらうための時間が必要です。

 皆もすなる「絵」というものが私にも描けたら、どんなに世の中生きやすいことだろう。私はもうがまんできなくなり、少女コミックをお手本にしてちまちま目の中に星がある少女なんかを書くようになりました。そのうち人間を描くときには、しっかり手足までつけるようになり、クツをはかせ、髪の毛をつけ、そしてついに飛んだり走ったりの動きまでさせれるようになったのでした。どうもこういうちまちました作業をひとりでやることが好きみたいです。

 そのうちさらにこわいことに、たまーにTVCMで、私の書いたキャラクターが使われるようになりました。HITACHIやKFC、そしてカルビーの「さやえんどうず」、ツムラのバスクリン。商品からキャラクターを発案するプロセスはとても楽しいです。白い紙にちまちまと落書きのような感じでマルやら四角やら人の顔やらしっぽやらを書いていく。シンプルであればあるだけいい、とどこかで信じているので、私のキャラものを見た人は、「なんだ、こんなのアタシにだって書けるぞ」と思うことでしょう。そこに隠された血と涙の苦労は、誰にもわからないのだ、なんてことはぜんぜんなくて、やっぱり誰にでも書けてしまえますが。

 雑誌や本の中で使うカットのようなお仕事もたまにしますが、やっぱりポストカードやレターセットでキャラクターものが使われた時のほうがうれしいなあ。そしてこれからは子供の絵本を作りたいなあ、と思っています。できれば英語版で(大胆!)いや世界中で読んでもらえる(図太い!)みたいな、ね。



ネコのことなど

 もう大昔のお話になりますが、ある時、ラッキーにも「開け、ポンキッキー!」(今は「ポンキッキーズ」になっています。)で、私の作ったネコキャラが使われることになりました。その名も「ゴロちゃん」。ゴロちゃんは映画「子猫物語」でも使われたのですが、もとは「ゴロちゃん」という歌のフルアニメの主人公です。これは自分が作ったキャラのなかで最も愛するものです。でっかい平べったい顔に顔からはみ出した大きな目。たぬきのような体型に太くて短いしっぽがついています。これは、ヌイグルミやCDジャケットにもなりました。たしか今でもまだこの歌はこのアニメのビジュアルと一緒にレーザーカラオケにも入っているみたいです。

 ゴロちゃんは、私が飼っていた今は亡きネコ「カムチン」をモデルにして生まれました。カムチンのお話になるとまた長くなる上に泣けてくるので、しません。でも彼は私に「好きなものを創り出していくこと」をさせてくれました。カムチンがいなかったら、ネコ嫌いだった私がネコキャラを創り出すことも、ましてやニューヨークでネコの絵の個展を開くなんてこともなかったでしょう。全くこやつは、大した奴だった。

 そのうち、ネコ好きな人たちにうれしがってもらえるような、ネコキャラものをまた作っていきたいなあ。



ニューヨークや日本のこと

 「つまり、グリーンカードが宝くじで当たったんで」。このセリフ、一体何度言ったものでしょう。初対面の人にこれを言うと、まず驚かれうらやましがられます。困ったなあ、とその度にうろたえた気分になる私です。何ていうか、苦労して頑張っている才能ある多くの人たちに申し訳ない気持ちになるんです。私のまわりの何人もの知り合いが、ビザ切れでしぶしぶ日本に帰りました。ビザのことがなければ、このアメリカで思いっきり才能を発揮して好きに生きているような人たちです。グリーンカードがないばかりにそういう人たちが帰国し、グリーンカードがあるだけで私のようなのうのうとした奴が残っている、まったく不公平だよな、と腹立たしくなります。 

 ニューヨークに住んでいることが当たり前のことになってきたのはごく最近。それまではいつも、おもしろいことがどこかで起こることを期待して捜し回っていました。なにかおもしろいことがあるべきだ、ここはニューヨークなんだから。なんてまさしくお調子者のお上りさんだった私です。

 「あんたの住んでるトンプソン・ストリートに新しいホテルができたって、こっちの番組で取りあげてたけど、どんなホテル?」日本の友達からメールが来ました。まったくこいつらの方が私なんかよりずっと詳しいんだから。私は何にも知らんぞ、そんなホテルのことなんて。日本の人から得るニューヨーク情報にはものすごく驚かされます。実によく知っている。なぜなんだあ、です。

 ニューヨークに住んでる人なんだから、と差別しないでください。お願いだから。たとえば「ニューヨークに住んでいるんですか。じゃあもう英語はペラペラですね」。どひゃあ!「ニューヨークに住んでいるんですか。じゃあ今流行ってるもの教えてください」。ひええ!「ニューヨークに住んでいるんですか。じゃあもうバリバリですね」。な、なんじゃ、それは!ここに住んでいたってやっていることは一緒。どうか過剰な期待っつーものをしないようにお願いします。

 ニューヨークのこともよく知らなくて、しかも次第に日本のことにも疎くなり、一体私はだあれ?状態になってきています。そういえば誰かが言っていたなあ。「どんどん日本語を忘れ、英語もぜんぜん上達せず、私はしがないバカリンガル」って。ああ、こわい。でもこれがけっこうニューヨークに長く住んでいる、私みたいな人たちの現実かもしれません。もう一回、ああ、こわい。

 どんどん変なおばさんになってきている恐怖はあるのですが、でも、まあもうしばらくこのニューヨークに住んでいようかと思っています。やっとお上りさんでなく、この街の普通の住人になってきたからねえ。



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