第 96 話
     新ネコに学べ
 

  ついにネコの話をしようと思う。ついに、などと意を決したのには訳があ りまして、ネコに対する思い込みや思い出を話していたら、泣けてくるから である。だからなんとかその手合いの話は避けてネコの話をしようと思う。

  去年の8月にうちにやってきたサバチンことサバは、もうすぐ生誕一周年 を迎えます。実はこいつを飼うことを決めるまでに、約3年の時間が必要だ った。いわゆる心の準備というやつであります。

  私と一緒にニューヨークにやってきたカムチンが去ってしまってから、か れこれ4年経つことになる。カムチンは16年のネコとしての人生を、日本 とニューヨークで私と共に過ごした。私たちは親友とか身内とかに近い関係 を築いていたものだから、彼に逝かれてしまった時には私は精神的に少しお かしくなってしまった。それはまさに、「残された私は一体この先どうした らいいのよぉ」状態でありました。

  そしてその後、何度か次のネコを飼おうとしたのだが、どうしてもダメだ った。子猫が生まれたと聞いて見に行ったこともあるのだが、まだ気持ちの 整理ができていないというか、心がちっとも動かされないのでした。やれや れ、ネコごときで何をもったい付けているんだ、と自分にあきれてしまった ものです。

  さて、ひっくり返すとお腹がサバ模様のサバチンをもらった頃には、わー ん、ネコが欲しいのよー、と自分の方から捜し回るような気持ちにまでなっ ていた。だから、この子猫との出会いは、何のこだわりも後ろめたさもない、 健全ですくすくと明るいものでありました。しかし、最後の決心をする前夜、 カムチンの写真を出してきて、ぶつぶつと小声で事の顛末を説明し、許可を もらったことは少し不気味な行動だったかもしれない。

  サバはハーレム生まれのヤンキー娘である。お母さんはけっこういいとこ の生まれの気高いロシアンブルー、ところが父さんはどこの馬の骨とも知れ ぬハーレムのホームレス野郎らしい。そういうちぐはぐな親の血を受け継い だだけあって、サバチンは時々意味不明な行動に出る。アリ一匹殺せないで ぼんやりその行列を見ているようなお生まれの良いところがあるかと思えば、 山盛りのキャットフードをがつがつと一気食いして、後で全部ゲロ吐いてし まうような、意地汚いホームレスのおやじっぽいところがあったりする。

  そういうわけで、しばらくぶりでネコのいる生活がまた戻ってきました。 しかしどこかでいつもカムチンと比較している自分がいる。「カムチンだっ たらこういう時はこうしたのに」といらいらしてしまうこともある。「なん でこいつはカムチンみたいにニャアと言わないで、グルルンなんてハトのよ うな声を出すのだ」とわけのわからないことでいらついてしまったりする。 で、最後には決まって、「やっぱりカムチンがいちばんだったなあ」と思っ てしまうわけです。

  「あんたって、ほんとに嫌な奴だねえ。そういうことしていると、サバチ ンはドラッグにはまってぐれたりするんだからね」と友達に思いっきりたた かれた。ドラッグなんかにはまるかよ、ネコが、と笑いつつも、もしかした らネコのうつ病になってお薬が必要になるというようなことか、などと考え てしまった。なんせニューヨークのネコなんだから。

  「あんた、もしかして昔のオトコのこと、妙に美化していつまでも引きず って忘れないようにしているタイプじゃないか?」と突っ込まれて、ぎくり とする。「そういう奴って、いつまでたってもシアワセになれないんだよ。 せっかく新しいオトコが現れても、昔のオトコと比較して逃してしまうんだ から」とどんどん痛い傷口に唐辛子を容赦なくすりこむようなことを言う。 「まあいきなり新しいオトコに愛情を注ぐのはあんたには無理だろうから、 とりあえずこの新しいネコで訓練していけば?」とまで言ってくれるじゃな いか。

  しかし、どこか私をうなだれさせるところがあったのは確かだ。なんせネ コもオトコも一緒だからなあ。でもって私も性格ゆがんでいるからなあ。な どと、ネコ一匹にいろいろ教えられているこの頃の私です。

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