第 90 話
   ニューヨーク・冬
 

 ある日大雪警報が出たかと思ったら、あっという間に30センチ以上はあるかと思われる雪が積もり、強烈な寒さがいよいよ襲ってきました。

 これだ、これだったんだよね。これぞまさしくニューヨークのキツい寒さだ。と私は鼻とか耳とかがちぎれないようにしっかり手やマフラーでガードしながら、ビルとビルの間を吹き抜ける風の中をよろよろと前進していく。寒くてぶるぶるがたがた震える、なんてのはまだぜんぜんかわいい方でありまして、あまりの寒さにめまいがして気分が悪くなるんだから。

 いやはや今年はすっかり気を許していた。普通ならすでに10月ごろから寒くなり、11月ともなるともう本格的な寒さが襲ってきて、ブーツや手袋は必須となりります。で、12月になるとみんな人相がわからなくなるまでぐるぐる巻きのマフラーや分厚い帽子やスキー用の顔隠しを着用するようになって、1月2月となると、へたにがたがたしないで、もう忍耐とあきらめでうなだれてこの寒さを受け入れて行くしかない。というのを私もやっと学んだのだけど。

 それがどういうわけか今年はけっこう過ごしやすい冬で、まあ冬なんてこんなもんだったわな、とみんなだんだん態度がでかくなってきていました。たとえばヤスコちゃんなんかも、今年はまだタイツをはいてなくて、ちょっと厚めのソックスだけなんだわあ、なんてへらへら笑っていた。ニューヨーク暮らしも長くなると、これくらいの寒さはどうってことないよ、なんていばっている友達もいた。かくいう私も、昔日本でババシャツが流行ったころ買い込んだものを、そういえばこの冬はまだ着ていないなあ、まあこんなものはもう今年も冬は必要ないなあ、と踏んでいた。甘かったというわけです。

 さて、この何年ぶりかのスノー・ストームで、ニューヨークの人たちはあたふた大騒ぎしていました。まったく困った人たちであります。テレビのニュースなんかがたき付けるのもよくないんだけど、「さあ、あと3日もすると、ものすっごい吹雪がこの街を襲うぞー」のイントロから始まって、「絶対外には出ないように。家の中で暖かくしてじっとしていなさい。」の警告になり、「いよいよそこまでやってきてしまったぞー。用意はいいか」みたいなノリになったかと思ったら、「街中の店やレストランはクローズするぞ。さあどうする。飢えと寒さで野たれ死にする気か」になっていくわけです。

 「いやはや大変だったよ。あの大雪の前日の夜、スーパーマーケットに買い物に行ったら、まずスタジアムくらいでっかいサイズのパーキングが長蛇の列で、駐車するのに1時間も待たされて。で、やっと店内に入ったらものすごい人ごみで、ぜんぜん前に進めないんだよ。しかもミルクも水もすっかりソールドアウトのすっからかん。肉や野菜も底をついていて、もう買う物が何も残ってない状態で。一緒に行ったおばあちゃんが怒っちゃって、みんな雪ごときであせって買い出しに来るなんてバカじゃないの、って言うんだけど、そういうぼくらだってあせって買い出しに出かけていたんだからねえ」

 スノー・ストームの前夜、あわてておばあちゃんと買い出しに行ったというニュージャージーの人からこんな話を聞いて、そういえば日本でもその昔、オイルショックなんてのがあったな、などとふと思いだしてしまいました。たしかトイレットペーパーや洗剤がなくなる、とかいうウワサがたって、みんな一斉にあせって買い出しに走り、どこのスーパーも品切れ状態になったのでした。あれって一体何だったんでしょう、と後になってテヘヘと笑ってごまかすしかなくなるわけですが。

 人間ってのは、こういう生死にかかわらない範囲での緊急事態に実はわくわくしちゃうものなのですね。なかでも特にアメリカ人はこういうお祭り騒ぎが大好きな気がします。テレビのニュースで、「もうしっかり水と食料は買い込んで来たので何が起こっても平気よ」といって勝ち誇ったようにスーパーマーケットのショッピングバッグの山をみせる主婦は、気のせいでなくにこにこ楽しそうでありました。「絶対外出しないように」なんて警告しているニュースキャスターやウエザーマンの深刻な顔が、時々わくわくとうれしそうに輝くのを、私は見逃さないんだからね。

 そういうわけで、ついに冬がきてしまった。ロスアンゼルスのみなさん、零下5度とか6度の感覚、わかりますか。今ニューヨークはまさにそのどつぼにはまっています。    

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