第 88 話
   ブルックリン
 

  この頃ブルックリンにはまっている。正確には、ブルックリンで野菜や果物の買い出しをするのにはまっている。

  それまで私は、毎週末チャイナタウンで買い出しをするのをこよなく愛する女でありました。なんたって何でもかんでも安い。うまくて新鮮なものがわんさか手に入る。食料品が安い場所、つまり野菜や魚の市場が活気づいていている場所が私は大好きなのです。だからどこに旅行しても、まず市場を捜し求めてしまう。

  そういうわけで、チャイナタウンは私の最愛の場所でした。ところがある日、私は知ってしまった。ブルックリンのある地域に、チャイナタウン以上に安いところがある、と。 

  こういう貴重な情報は、決して情報誌やインターネットからは得られない。これはもう、運と縁、としか言いようがない。運良くそういう正しい情報通の知り合いがそばにいる人はラッキーであります。または、たまたま道を歩 いていて、何かヒクヒクと匂うものがあって引き寄せられてしまう、ということもけっこうある。

  ところでブルックリンですが、数年前からヤッピーやおしゃれなゲイカップルがわらわらとマンハッタンから移動し、今やここのいくつかの場所は、やたら高くてホットなエリアとなっている。

  最初は貧乏アーティストたちの民族移動から始まり、次に私のまわりにいる友だちたちのように、もはや異常に高くなってしまったレントが払えずマンハッタンから脱出する人たちの移動先となった。ほんとにかれこれ4、5年前のことだけど、私のまわりの人たちがごっそりマンハッタンから消えてしまいました。あの頃は、まだブルックリンも、スポットライトを浴びてしまった特別おしゃれないくつかの場所以外は、お手頃値段でアパートが見つかっていたものです。

  さて、ある知り合いから聞いたその場所に、私はブルックリン・ブリッジをガタガタ越えて、ひとまず出向いてみた。そこは、地下鉄がトンネルから地上に出て走るガード下に、野菜や果物、雑貨などのお店が軒を並べる、ロシア人エリアでありました。

  ここが本気ですべてどっさり安い。今までチャイナタウンより安いところなんてお目にかかったことがなかったぞ。それを上回る安さ爆発の場所があろうとは。脱帽ものである。

  たとえば、よ。ツルツルに熟れた大ぶりの柿が、8個でなんと1ドルポッキリ。つまり日本だと8個120円よ。信じられないよね。季節が終わってマンハッタンだと1個2ドルはするマンゴが、ここではなんと3個で2ドル。話がえらく所帯じみてきた。しかし、こんな調子でともかく安くて新鮮なのよ。これはもう誰がなんて言ったって買うしかない。

  ところで、似たようなお店が軒を並べているんだけど、どこも少しずつ値段が違うことに気がついた。あるお店はお茄子が安いし、あるお店はピーマンを安くしてある、という具合だ。だから本当に安いものを手に入れたければ、すべてのお店をチェックして、値段を記憶しておく必要があるってわけだ。もちろん値段だけでなく、サイズや新鮮度などあらゆる点で細かく比較分析する必要もある。

  でもやはり値段が最重要ポイントであります。私ははやる気持ちをなんとか抑え、まずはすべてのお店をくまなくのぞき、行ったり来たりして時間をかけて比較しては、これぞと思うものをどんどん買い込んでいった。

  その帰り道、買いすぎた野菜や果物のつまった重いバッグをずるずるひきずって歩いていた私は、「サーカス・フルーツ」というちょいとまぬけな名前のお店の前で思わず立ち止まってしまった。柿10個で1ドルの値札がぶらぶ らぶら下がっているのを発見してしまったのだ。やられた。まさか、さらに上行く店が存在しようとは。他にも、レモン10個で1ドルだったりするではないか。

  よろよろ、とめまいがした。あんなに慎重に時間をかけて行ったり来たりして選んだというのに、あっさりその努力をムダにされてしまったのだ。いけない、いけない。今回はもう目をつぶって、また次はここに来ればいい。と言いきかせたくせに、やはり思いを断ちきれず、ついレモン10個とほうれん草をがまんできずに買ってしまった。

  そしてさらに重くなったバッグをずりずりとひきずりながら歩いていた私は、「貧乏人の味方のお店」というストレートな名前にひかれて、そのお店の前で思わず立ち止まってしまったのでした。またこの先、もっともっとさらに安い店が見つかったら一体私はどうなってしまうのだろう。

  こんなわけで、当分ブルックリンにはまっていそうな私です。しかし腕力がいるぞ、これは。  

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