第 85 話
  田舎のネズミと都会のネズミ

 理由あって、しばらくニュージャージーの田舎になりをひそめることになった。ところが、ここがが恐ろしいまでにど田舎なのであります。

 どのくらい田舎かというと、道ばたにクルマにはねられたタヌキやスカンクがいっぱいころがっている。野良ネコが公園でリスをバリバリうまそうに食いちぎっている。(私はこれを目撃した夜、故カムチンが口のまわりを血塗れにしながら、私の体を食いちぎる悪夢にうなされた。)そのくらい田舎なのです。

 さて、私の性格とか行いとか生活態度とかをよく知る友達たちはみな、口をそろえて「あんたのような典型的都会っ子が、あんなド田舎に住めるわけがない」とせせら笑う。

 彼らがそう言うのも無理ないわけで、近所の「グランドユニオン」での深夜3時のショッピングが趣味で、ゴミやへちゃげた空き缶なんかが道に落ちていないとなんだか落ちつかない性分で、人がたくさんいる場所についつい惹かれていってしまうクセがあって…。という典型的な都会人間なのです、私は。

 だがしかし、岡山の日生町という小さな漁村育ちの私は、根は結局田舎ものなのです。「そうだと思った」と実はすぐバれるのでありますが、やっぱりなぜだかどこかでわかってしまうみたいです。

 さて、根は田舎ものなわけですが、東京とニューヨークでの暮らしの方が、すでに田舎暮らしより長くなってしまった私としては、自分が一体都会と田舎のどっちに属する人間なのか、非常に興味がある。生みの親より育ての親、というのもあるし、やっぱり私はすでに都会の人間になってしまったのかもしれない。だが、「三つ子の魂百まで」、なんてのもあるので、なんだかんだ言ってもやはり田舎の人間なのかもしれない。

 こんなこと考えていたら、ほらあのお話を思い出してしまった。田舎のネズミと都会のネズミのお話です。

 都会のネズミは、いつもうまいものをレストランのゴミ缶から頂戴していた。それをうらやんだ田舎のネズミが田舎から都会に出てきて、うまいものにはありつけたけど、レストランの従業員に追っかけられたりとかして、結局自分はごちそうなんてなくても、やっぱり平和な田舎のほうがいいやい、と悟って田舎に帰っていくというようなお話。

 絵本で描かれた都会のネズミは確かハデな蝶ネクタイなんかしていて、なんだかやくざでスれたいやな奴として登場していた。田舎のネズミの方は、ダさいちゃんちゃんこみたいなのを着せられていて、でもこの絵本を読む子供たちには「いい奴」とすぐわかるアイコンになっていた。

 そこで私は、ハタと気がついた。私は都会が好きなんだよね、なんて言おうものなら、文明や便利さやお金や物質なんかにすっかり洗脳されてしまって、人間として大切な何かに欠けているように扱われがちです。そう、どうも分が悪い気がする。

 逆に、ボクは田舎でのんびり暮らす方がいいなあ、なんて言うと、その人は自然や動物を愛する、おだやかで心のやさしい人のように思われがちで、なんだかトクなのであります。それゆえか、自分が田舎出身であることで、少し救われているところがあるのも確かである。

 さてそういうわけで、ニュージャージーのど田舎暮らしですが、はっきり言って、私は早くもなんだかジェールに入れられた囚人のような気分になって来ています。

 1本見逃すと、2時間近くも待たなきゃ次の列車が来ない、というとんでもない事実に、思わず駅まではあはあと、息の続く限りの全力疾走をしてしまう不自由さ。駅のまわりには駐車場以外お店も何もないという状況に、今夜私は餓死してしまうに違いない、という病的なまでの恐怖にかられて、思わずマンハッタンのレストランでがつがつ食い貯めして、スーパーであせあせ買い占めしてしまう不自由さ。これが囚人以外の何でありましょう。

 そういうわけで、野良ネコにいつ食いつかれるかとどきどきしながら、街灯もない暗い道をひたひたと歩きながら、ああやっぱりダメかも、私はやっぱり自然を愛する心やさしい田舎好き人間には、やっぱりやっぱりなれないのだ、と断念してくるのでした。まあ、野良ネコも食わないようなばばあになった頃には、平和でのほほんとした田舎暮らしがやりたくなるかもしれないけどね。

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