第 81 話
  持続
 

 日本の友達が12年間勤めた会社をやめた。12年間も同じ会社で働いて きたなんてめまいがしない?という私に「何言ってんだあ。普通の人は20 年も30年も同じところで働き続けるものなんだよ。おまえのような奴に明 るい老後はない」と一喝されてしまった。

 そう言われて考えてみると、私ほど長続きができない人間はいないかもし れない、と思い当たる。ではどのくらい私が持続が苦手であるか、それは社 会人としての私の暗い過去が語ってくれるようです。

 まず、大学を卒業して最初に入社したある出版社は、社員5名の小規模弱 小会社でした。理由はもうすっかり忘れてしまったんだけど、私は社長とケ ンカしてここを4か月でやめた。スタートラインから、すでに私はつまずい てしまったというわけだ。 

 そして次に入ったデザインオフィス、ここでも社長と大げんかして6か月 でやめた。この時は私も相当本気で怒っていたもんだから、重い鉄製のテー プ台を社長に投げつけて、なんだか汚いコトバをいろいろ吐いてやめたんだ った。でも、この社長はほんとにみんなの嫌われ者だったので、他の社員た ちが後で拍手喝采してくれたのを覚えています。

 めんどくさいので細かい話は省きますが、その後入るところ入るところで 何がいけないのか、社長という肩書きの人とケンカしてやめること続き。短 い時で1か月、長くとも3か月でやめてしまった。

 そんなこんなで、いくら何でもともかく社長とケンカ別れするのだけは避 けよう、と決めた私は、その次は私好みのグッドルッキングのダンディな社 長の広告事務所に入社を決めた。ここでコピーライターの見習いをやってい たのですが、ここもまたわずか2か月でやめる羽目になってしまった。私の タイプの社長と不倫関係になりそれが奥さんに発覚して首になった、なんて 事情だったら人生少しはおもしろいんだけど、残念ながら全くそういう色め いたものではなく、あるテレビコマーシャルの制作プロダクションから誘い があって、ついそれに乗ってしまったというわけです。

 その制作プロダクションは4年も続いた。でもこれだけ続いたのには理由 があった。この時こっそり友達と狭いアパートの一室を借りて、二人で有限 会社なんて作って、楽しいことをいろいろやっていたんだよね。それがなか ったらきっとそのプロダクションもやめていたに違いない。

 そしてその後、大きな広告代理店にも入ったんだけどやっぱり長続きせず、 とうとうフリーランスというのに収まったというわけです。数えてみたら社 会に出てフリーランスに収まるまでに、見習いの身なんてのも入れると、約 10社くらいもの会社を点々と移っていた。

 どの仕事も決して嫌いではなかったし、少しがまんして続けていれば今頃 はもっとプロフェッショナルなものを身につけていたような気がする。本当 にその仕事で一人前になりたければ、じっとがまんして乗り越えるべきなの だ、けど、どうしてもそこでめんどくなってしまうのである。続かせるより、 次に行ったほうが自分にとっていいような気がしてしまうのだ。

 さらに恥をさらしてしまうことにするが、ニューヨークに来てから、何度 英語のクラスやコンピュータのクラスを取ったことか。そしていつも最初の 数回顔を出しては、なんだらかんだら言い訳を作ってやめてしまうのだ。し かし凝りもせず、またクラスを取る。でも決して最後まで続いたことがない。 まったく頭をがつがつ殴りたくなるほど情けない奴である。

 コツコツとひとつのことを長続きさせるってのは、私みたいな者にとって はいやはや大変なのである。好きなことならできる、っていうけど現実はそ んなに簡単にはいかないよお。

 あっ、だから男とも長続きしないわけかあ、とここで変に納得する私です。 いつでも鉄製のセロテープ台を投げてしまいそうな勢いである。でもって、 がまんして続かせるより次に行った方が正解だわい、なんて思ってしまうん だからなあ。そんな風だからいつまでたっても幸せになれんのよ、と田舎の お母さんがあきらめ気味に説教する声が聞こえる。     

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