第 79 話
  夏が来た
 

 言うまでもありませんが、夏であります。私はくそ暑いニューヨークの夏が好きだ。暑いんじゃなくて、くそっ、と言いたくなる暑さなわけなんだけど、これがもうこたえられないんであります。そして、いろんな公園でフリーコンサートがある、というのがこのニューヨークのくそ暑さを好きでいられる理由のひとつである。けっこうメジャーなすぐれもののミュージシャンのステージをフリーで見れたりするから、ものすごくトクした気分になれるし、もしハズレでも、とりあえず気持ちのいい芝生の上で、おにぎりとかワインを楽しむ、というのだけでも十分満足できる。

 さて、先週のこと。キューバの新しいバンドが演奏するというので、ブルックリンのプロスペクト・パークに出かけていった。すでにたくさんの人たちが草の上にブランケットを広げて、のんびり寝っころがっている。ビキニ姿で体中にタトゥーとピアスをした白人の女の子から、ラスタカラーのTシャツを着たドレッドのジャマイカンのおじいさんまで、年齢年収人種を問わず、みんなこのフリーコンサートを楽しみにしている。この空気がニューヨークならでは、であります。

 もうひとつ私がいつもああいいな、と思うのは、みんなの持ってきている食べ物類のバラエティの豊富さであります。サンドウイッチやフライドチキン、サラダなどの本道に混じり、ピザのでっかい箱をテイクアウトしてきている人がいたりする。中身は何なのか大きな鍋を重そうに運んでいる人たちもいる。なんだか得体の知れない肉をぐつぐつ煮込んだものをみんなでつっついていたりする。かと思うと、うしろのほうからバーベキューのいい匂いがしてくる。デザートにでっかいケーキを丸ごと持ってきてカットしていたりする。

 いろんな国の料理の匂いが混ざり合う。ついつい横目で盗み見して、ごくっとツバを飲み込んでしまう。そういう私たちも、友達の作って来てくれた梅干し入りのおにぎりや、卵焼き、昆布、お漬け物なんかをお箸で突っつき、冷えた麦茶を飲む。何食ってんだ、このあやしいチャイニーズらは?と、わざわざお弁当箱をのぞき込んで行く人がいたりします。

 犬や子供がはしゃぎ回り、大人たちは腰をふりふりダンスを始める。日が暮れてくると、あちらこちらで誰かが持参したキャンドルに火がともる。風が気持ちよくてふにゃふにゃ気分になってくる。そう、なんだかみんな、とりあえずしあわせなのであります。

 「ユーコ、ユーコ!」。誰かに呼ばれて、ハッと我に返った。後ろを振り向くと、そこには確かに知った顔の男がにこにこ笑って立っています。ごめん、でも名前が出てこないぞ。えーと、えーと、とうろたえていたら、「マービンだよ」と名乗ってくれて、「マービン!」と一応うれしそうに言いつつ、まだ思い出せなくて、えーとどこのマービンだっけ?と必死になって考える。

 「もうかれこれ5,6年たつねえ。キミは変わってないねえ。まだレゲエ聞いてるの?」とヒントを与えられて、ようやく思い出した。私は実はニューヨークに来てまもない頃、その名も「スモーレスト・バー」という、ニューヨークでいちばん小さいレゲエバーでバイトをしていたのでありました。

 「スモーレスト・バー」は、もう数年前にクローズしてしまいましたが、ダウンタウンの私のアパートのすぐ近所にあり、そこにはハイチ人のボスというかマスターがいました。私はそこから聞こえてくるレゲエの音についつい引き寄せらて、そのバーのカウンターに座り、ジャマイカのおいしいビール、レッドストライプを飲み終わった後、「私をここで働かせてください!」とそのハイチ人のマスターに頼み込んでいたのでした。

 そして、目つきの悪いハイチ人がたむろするその薄汚いバーで、なんとチップだけで働かせてもらうことになったのでした。その代わりに、自前のかっちょいいレゲエのテープを持参して好きなだけかけていい、という約束をとりつけたのですが、今考えると子供だましのような交換条件であります。しかしその頃まだお金の余裕もあった私は、ともかくこのレゲエバーで好きなだけレゲエを聞きながら働ける、ということで十分満足していたのでした。

 「あの店、よかったよね。ボクはあのレゲ・バーでうだうだするのが好きで、酒も飲めないのに毎晩通っていたよ」と、マービンは目を細める。私も思い出して来たぞ。心がけのよくないハイチ人の客のたむろする中で、このマービンはまともでしっかりしていたんだった。ちゃんとフルタイムのお仕事持っていたし、客として来ていた私の女友達にも下心なくビールをおごってくれていたっけ。ああ、そうだった。他の連中ときたら、まったくもうどうしようもなかったなあ。と、私の記憶はあの頃にどんどん戻っていく。

 そういうわけで、いつかは話したいと思っていた、なつかしの「スモーレスト・バー」時代のことを次回はお話します。   

home
essay contents
next