第 67 話
    個展開催 
 

  3年ぶりに個展をまたやってしまった。もうあんなしんどいこと二度とやるものか、と思っていたのに、またやってしまったのにはもちろん理由がある。またまたカムチンのお話で申し訳ないのですが、いい供養になるかも、と思いたって、「カムチン展」をやることにしたのだ。

 そういうわけで、ほとんど部屋にこもって毎日カムチンの絵を描いていたこの頃の私です。しかし、思い立つのはいいんだけど、実際やるとなるとしんどいわけで、やっぱり何度も途中で投げ出したくなった。私ってば、どう転がってもアーティストにはなれそうにない。聞くところによると、本物のアーティストさんってのは、「描かずにいられないのだ、オレは!」と盲目的な情熱に駆り立てられるらしい。寝食を忘れ、お風呂に入ることもインターネットやることも忘れ、日夜ひたすら描き続けるものらしい。

 私にはどうもそういうシリアスな状況が、似合わない。似合うとかそういう問題じゃないのだ、と叱られそうですが、ともかく情熱や集中といったものが欠けている。日本製のサクラの水性ペンでだらだら落書きから始める。時間がないのはわかっているくせに、そういう時に限って他のことがしたくなる。

 そして、いきなり冷蔵庫の掃除を始める。これは集中できるから不思議です。野菜室にへばりついたほうれん草の残骸をほじくりながら、もしかして、冷蔵庫の掃除婦なんて職業が私には合っているかも、なんてことをふと考える。時給いくらにしようか、なんてことまで考え始める。

 そのうち冷蔵庫もすっかりきれいになってしまい、また机に戻ってサクラの水性ペンを持つしかなくなる。もう遊んでくれるカムチンもいないので、逃げ場に困る。しばらくおとなしく絵を描くのだが、まただれてくる。ふと、また冷蔵庫に目をやってしまった。そうだ、フリーザーだ。フリーザーがまだだった。

 断っておきますが、フリーザーといっても冷蔵庫の中にアイスボックスが取り付けられている、あの昔なつかしい故郷のあれ、であります。ダウンタウンの超旧式型冷蔵庫は、2ドアなんてこじゃれたものではないんだからね。

 驚くべきことですが、霜取りを3年以上やっていないフリーザーは、すっかり南極化している。ぶ厚い氷の壁に押されて、もう中のドアが閉まらなくなっている。これはいけない。今すぐなんとかしなければ。絵なんて描いている場合ではないのだ。次の逃げ場を発見した私はにんまりする。

 はさみをガツッガツッと突き立てて、氷の壁を崩壊していく。これは快感であります。でかい固まりが思った以上にボロッと崩壊した時なんて、背筋がゾクッとする。柔らかい箇所ほど手応えがなく、無駄な労力を使うこともわかってきた。堅い箇所を狙ってはさみを突き立てる。「くそったれっ!」とか思わず叫んでいる自分にも気がつかないくらいのめり込んでいる。そのうち手がすべって指から血が出てきた。それでもやめれないのはもはや情熱以外の何者でもない。やはり冷蔵庫の掃除婦が私の天職に違いない、と確信する。

 気がつくと、外が明るくなっていて、私の手は真っ赤になっている。なんてこった、とあわててまたサクラの水性ペンを握る。冷蔵庫の霜撮りで血まみれになった指でうなりながら絵を描く私は、まるで耳を切り落としたゴッホ並みに苦悩しているのでありました。

 そんなこんなで、それでも20枚のカムチンのあで姿を2週間で描き上げた私ってば、やはりアーティストなのかもしれない。しかし、もう二度とやるもんか。バンドエイドを貼りまくった指を見つめて、私はまた後悔したのでした。そう、アーティストって大変なのよね。  

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