第 66 話
    LAの老人たち 
 

  お友達の卒業作品制作を手伝うために、ロサンゼルスに2か月ばかり滞在していたノリコが帰ってきた。日本びいきのアメリカ人である彼女のお友達は、小泉八雲、つまりラフカディオ・ハーンの作品を元にした、ムービーを撮ることにしたのですが、どうもやはり日本の感覚がつかめない。そこで、ノリコが助っ人としてかり出された、というわけだ。

  カラカラに乾いた空気とギンギンの太陽のロサンゼルスで、日本情緒いっぱいのしとやかなムードを作り出すことからして、至難の技であります。その上彼は、「ボク、どうしても桜吹雪のシーンが入れたいのだ。」などど言い出したらしい。他にも、昔の木造の小学校も撮りたいだの、小学生はやはり200人くらいは使いたいだの、とんでもない自己主張をして、ノリコを困らせていました。

  ともかく撮影はなんとか無事終了したのですが、ロサンゼルスは初めてだったノリコにとって、ニューヨークとあまりに違うことのショックは大きかったようだ。まず彼女はクルマの免許証を持っていない。これはすでに戦う前から85パーセントくらい負けているようなものであります。ロサンゼルスでクルマなしで暮らすことは、車椅子をいきなり取り上げられた歩けない人のようなもの(と彼女は表現しておりました。)です。クルマを持っているお友達なしではどこにも行けない彼女は、自分の生活というものをあきらめるしかなくなったらしい。

  ところで、ここでいちばん彼女にとってショックだったのは、何十年もあるいは親の代からここで生まれて暮らしている日本人のご老人たちについてでありました。日本人のおじいさんのオーディションをしたところ、今までみたこともないロサンゼルス系じいさんたちが集まってきた。

  ロサンゼルスには、ハデなTシャツや花柄のアロハシャツをさっそうと着て、顔は日本人の老人なのに、日本語がほとんどしゃべれなくて、英語を流暢にしゃべるご老人がいっぱいいる。と彼女はうろたえたそうです。みんな妙に元気いっぱいで、背骨がまっすぐで、若い。日本人が考える日本人のご老人、のモデルからほど遠いってわけだ。まず基本的に、日本のご老人は英語なんてしゃべらないわな。そういう人は「モダンじいさん」などと呼ばれて、特別扱いされる。花柄アロハにサロペットなんて着ようものなら、「イロキチじいさん」などと呼ばれる可能性が高い。

  日本で普通のご老人しか見たことのないノリコは、そこからしっかりはみ出したご老人軍団を目の前にして、こ、この人たちは一体何者なのじゃ、と大混乱してしまったらしい。見た目は間違いなく日本人なのに、どうもアメリカ人になっているようだぞ。日本人のじいさんなら、地味ならくだ色のシャツを着て、孫の世話したり盆栽作りしていてくれないと、困るじゃないか。もしかしてこのじいさんたちは毎朝シリアル食ってるのか。

  「でもね、私は自分って一体何者なんだ、と初めて考えてしまったよ。アメリカ暮らしが長くなればなるほど、日本の感覚から離れていって、でもその分、古き良き時代の日本に執着してきそうでさ。ロサンゼルス歴の長いご老人たちを見ていると、この人たちって一体日本人なの?それとももはやアメリカ人なわけ?なんて考えてわかんなくなってさ」と、彼女は一気にしゃべる。アメリカにいるからこそ、日本人であることを逆に意識することになるんだけど、でもアメリカで日本やってるのもおかしいし、かといって日本人であることを捨てるなんてできっこないしね。

  まあ、アイデンティティのお話は置いといて、ニューヨークとロサンゼルスの日本人の違い、ということだけに絞っても、ほんとに違うようです。たとえば、ニューヨークでは、何十年も長期で暮らしている日本人のご老人って少ないようだ。日本語より英語でしゃべる方がラクチンなのじゃ、という手合いのご老人に、私はここで会ったことがない。

 それに、ニューヨークって老後を過ごすにはきつい場所でもあります。なんせ零下何度の冬は年老いた身にはしんどいわよね。それに比べりゃ、年がら年中カラリンと陽気な気候のロサンゼルスなら、なんだか長生きできそう。日本人コミュニティもロサンゼルスの方が強いのでは。老人ホームや老後の保証制度なんかも、ロサンゼルスの方がしっかり充実しているような気がするのですが。(ごめん、気がするだけです。調査はしておりませんので。)

  私もニューヨークで老後は過ごしたくないなあ。変わり者のイロキチばあさんと後ろ指さされることになったとしても、老後は岡山の実家でのんびり日本人していたいものです。  

home
essay contents
next