第 63話
           そして、キューバ

 ブロードウェイを歩いていたら、いきなり道のまんなかでしゃがみこんでしまいたくなった。困った。2週間のキューバ旅行から帰って来てから、ちょくちょくこんな状態になっている私であります。 

 「サルサにはまって帰ってくるからねー」と友だちに言い残して明るく旅立ったんだけど、私がはまったのは、ポークと政治と、そして何よりもちろんキューバの人たちでありました。

 なんとかミュージアムとかなんとかのゆかりの地とか、そういった観光スポットに全く行く時間がなくなってしまったかわりに、道ばたで仲良くなった男の子の家にお呼ばれして、お母さんの手作りのご飯をごちそうになったり、サルサのステップを教えてもらったり、メジャーバンドがライブを演奏する「カフェ・カンタンテ」でトランペットを吹いていた男の子と一緒にポーク・チョップを食べたり、友だちの家に連れていってもらったりしているうちに時間が過ぎてしまった。ステキな暖かい時間をいっぱい体験してきました。どこに行っても人との出会いがいちばんの宝物になる。

 ところで、ハバナは質の悪いガソリンの排気と工場の煙突から出るもくもくの煙におおわれて、工場地帯の臭いが街中に充満している。トランペッターの男の子の赤ちゃんは、何度も喘息で病院に入院しているという。私もノドをやられた。こりゃ、近い将来、キューバにも公害問題が起こるんじゃないか、と私はかなり不安になっている。

 その排気汚染と貧乏の中でみんな陽気にサルサを踊り、音楽を楽しんでいる。なんでそんな余裕があるのか、私はほんとにその理由が知りたかった。「それでもこの国が好きなんだ」と誰かに言って救われたかったのですが、残念ながら私が会ったほとんどの人たちが、この国の不自由さと救いようのない貧しさから逃げ出したがっていた。音楽とダンスだけがこんな状況の中で生き残ってきたのかもしれない。何があってもこれだけは手放さないぞー、と最後の楽しみをしっかり握っているような。そういえば唯一、そのトランペッターの男の子だけが、「ぼくはこの国から離れない、だってここにはボクの音楽があるんだもの」と言っていたなあ。音楽ってそんなにも彼らにとって大切なものなんだよね。

 さて、ジャマイカに何度も行った私としては、どうしてもジャマイカとキューバを比べてしまうことになる。同じカリビアンなのに、すべてが違う。ジャマイカの根っからの脳天気さはキューバの人にはない。同じ「ノォープロブレム」にしても、ジャマイカの奴らが言うと、「ウソこけ」と笑ってしまえるのに、キューバの人が言うと、「ああ、ほんとに私はきっと大丈夫なの。」と大きくうなずいてしまう。ジャマイカのタクシーの運ちゃんが「5ドル」と言ったら、「3ドルにしろや」と即座に交渉を始めるのに、これがキューバの運ちゃんだと、黙って5ドル差し出すことになる。キューバの運ちゃんはボッたりしない、と私を信じさせるものがあります。なんて信憑性のない話だ、とお怒りになるかもしれませんが、しょうがない。

 ところで、私はしばらくファミリーのお家にもステイしていたのですが、不思議なことに、スペイン語しか話さない彼らと、かなりのことを理解しあうことができた。ある時は絵を描いたりゼスチャーを使ったり、あれやこれや手を尽くしたけれど、そしてほとんど何の不自由もなかった。むしろそんなコミュニケーションのやり方を楽しんでいた私であります。

 全くコトバの通じない国では、相手を理解することにものすごく真剣になります。カンと忍耐と愛がとても必要になる。今度また行く時にはスペイン語をしっかり勉強しておきたい、と思う反面、そんなもの学んでしまったら、もしかしたらもっと不自由になっちゃうかもしれないなあ、とも思う。

 私をブロードウェイの道でしゃがみこませるほど強いものを、一体どうやってあの人たちは私に与えてしまったんだろう。言葉でではなく、においや笑顔やトランペットの音や暑さなんかで、私と通じ合わせてくれた。こんなのってあるんだなあ。

 アメリカにものすごく近くて、はてしなく遠い国。そんなところに私はしばらく行っていました。

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