第 52 話
            久保久美

 久保久美から電話が入った。「久保久美でーす。覚えてる?10年位前に仕事の打ち合わせで会ったんだけど。」うむむ、と私は必死で記憶をたどり、「ほら、そのあと打ち上げで温泉に行って。」の言葉でようやっと思い出した。そうそう、彼女はその頃あるTVCM制作プロダクションで、私と同じようにプランナーをやっていた。大きな瞳に長く黒い髪をおさげにして、ロリコン・ファッションの彼女とこの私とは共通点もなく、そのままお互い会うこともなく現在に至っていたのでした。その後彼女は突然会社をやめ、画家になった(!)と聞いていた。

 「きのうからダンナとニューヨークに来ていて、ダンナのいとこの家に泊まっているのよ。ところで、今夜友達のギグがあるから行かない?」のっけからこんなお誘いで驚いた。だってニューヨークは初めてという彼女に、なんですでに友達がいるのだ?ともかく、いつもヒマな私はもちろんのこのこ出かけて行きました。

 さてロリコンっぽい日本人の女の子を捜してきょろきょろしていたら、ステージの真ん前でイェーッとか叫びながらハデに踊ってひときわ目立っている女がいる。そのなりがすごい。着物姿にブロンドのウィッグなのよ。ゲゲッ。その女はまっすぐ私のほうに近づいてきて、「お久しぶりー。クミでーす。」と名乗った。そう、それこそまさに10数年ぶりに会う彼女でありました。友達というのは、そのギグをやっているパンクなバンドのボーカルの女の子のことで、その子のギグのためにニューヨークくんだりまで来たらしい。そして彼女の横では、クマのぬいぐるみみたいなダンナが、桜吹雪の着物姿でおずおずと笑っている。この二人、お似合いの夫婦、と見た。

 次に会った時も、彼女は着物姿で登場した。そしてその夜連れられて行ったのが、よりにもよって私のアパートの隣で毎晩騒音を立ているあのクラブであった。絶対行くもんかと思っていたのだが、ドリンク飲み放題に釣られて結局ジョインした。そしてそこで、久保久美パワーは全開したのでありました。

 その夜、このクラブにはひどくスノッブな若い連中が集まっていた。シクスティーズのファッション、ほら、ミニスカートにブーツのイエイエィガールや、マッシュルームカットの男の子、っていえばわかりますよね。ああいう連中が集まっていて、踊りも音楽もおしゃれさんである。その中で、私らはひどく浮いていた。オー、キモノ!とか言ってすりよって来る奴さえいない。暖かい目というものが、ない。彼らの視線は完全に私たちの頭上を行き来していて、私らの存在などないに等しい。

 「うーん、わけもなく何かくやしいねえ。このままむざむざと、帰りたくないよ。」久保久美が、ぼちぼち本領を発揮してきた。じっとステージのいちばん前を凝視している。そこは、踊りやスタイルに自信のある選び抜かれたお方たちだけが脚光を浴びれる、スペシャルスペースである。クラブ慣れした連中の、ひときわかっこいい踊りがそこでは展開されている。

 そしてその時。ああっ、なんと久保久美が着物の裾をバッと腰までたくし上げた、と思いきや、しゃなりしゃなりと踊りながら、そのスペシャルステージに近づいていった。そして、なんと股をバーッと180度見事に床に開き、コマネチー!になった。裾を大胆に広げ、白足袋にゾウリの足を天高く伸ばし、みごとな床運動が展開される。

 いよいよクライマックスである。床に頭を付け、でんぐり返った彼女は、私たちの目の前で もう一度景気よく股を180度見事に開いてくれた。股の間のコットン製の淡いブルーのパンツから、やはりまだロリコンファッションを捨てきれない彼女の姿が見えた。

 空気が固まった。スノッブな連中もプロのダンサーも固まった。音楽も固まった。一体何が起こったのか、誰にもわからなかった。着物姿の大和撫子が、突然パンツ丸だしで股をおっぴろげてくれたんだものねえ。そしてすべてが固まり切った中でただ一人、ダンナだけがニコニコうれしそうに笑っていた。

 「すごい!、あんたって、すごい!すごい!」。着物の裾を前でパタパタッと静かに整え、しずしずと内股で去る彼女に、私はうわ言のようにくり返していた。日本人女の鏡だよ、あんたは。やる時は、やる。決める時は、決める。大胆にして優雅。本物のエンタティナーだけが知っている「目立ち方」というものを、このお方はマスターしているではないか。こんな女、日本に置いておくにはもったいない。ともかく、ぜひともニューヨークに引っ越してくるように、彼女を説得しているところであります。

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