第 41 話
            コンピュータ

 いきなりコンピュータがぶっ壊れて、ここ何週間か仕事も何も出来なくなってしまった。いつもならおタクな友達にお助けしてもらうのだが、今回のはちょっと手に負えない悪質なやつで、初めてプロの方に修理をお願いした。ら、それが相場なんだろうが、むちゃくちゃチャージされて、もう泣きたくなってしまった。そういうわけで今回はどうしてもコンピュータ野郎の悪口を言ってやりたいのだ、私は。むかむか。

 これを買ったのは2年前。あー、コンピュータなんて嫌だなあ、とはっきり拒否反応を示しつつ、時代の流れにほいほい乗っかる私は、大金はたいてプリンターやらスキャナー、バックアップを取るための「EZ Drive」、そしてお絵書き用のペンのマウスまで、どーんと一括払いで購入してしまった。私はこういうタイプの人間である。

 ここで話は飛びますが、その昔、私は白金台という都内の一等地の団地住まいをしていました。その団地の駐車場に空きが出て、車を持っている人にならすぐ貸せる、と言う。もちろん私は車なんて持っていなかった。しかも10年近く前に免許証を取得して以来、一度も運転したことのないペーパードライバーでありました。つまり私は車が嫌いだったのである。運転なんてしたくもなかったのである。なのに、空き駐車場に目がくらみ、後先何も考えず、1週間も経たないうちにどーんと一括払いで車を買ってしまった。

 で、どうなったかと言いますと、それから2か月間、私はその新車を見るのもイヤで、駐車場に近づくのも避け続けた。たしか近所の友達の車になってしまったんだった。私はいつも自分の車の助手席に座っていたってわけだ。結局ようやく自分で運転を習い始めたのは、4か月も経ってからでありました。

 何が言いたいかというと、つまり私は何もできもしないくせに、しかも興味もへったくれもないくせに、ともかくブツをまず買ってしまうのである。しかも大物を。そしてさらにひどいことに、せっかく大金はたいて買って、結局も何もしようとしないのである。

 コンピュータを買った時は、コンピュータおタクの友達が見かねて、セットアップしてくれた。日本語の使える環境にしてくれた上に、フォトショップやらイラストレーターやら、ともかくありとあらゆるソフトを入れてくれた。それでも何も始めない私に、グラフィックデザイナーの友達が見かねて、今度はかっこいいフォントをたくさん持ってきてくれ、私のイラストを使ってかわいいアイコンも作ってくれた。それでもシカとしていると、今度はまた別のおタクの友達がインターネットをつないでくれた。それでようやく私もいやいやながらも、ともかくメールを使うことから始めたのでした。やれやれ、とみんながホッとした様子が目に浮かびます。

 ところで、いまだに私はこのすべてそろったコンピュータで、メールとワープロしか使っていないのだ。なのに、なのに、一体何度ぶっこわれたことか。そのたびに賢い友達に来てもらっているわけだが、そんなこともさすがにそうひんぱんには頼んでいられない。自分であれこれいじくり回して、もっと問題を大きくしてしまって、最後はキーボードをがんがん殴ったりして、ふと気がつくと夜が開けていたりする。

 「コンピュータって、人生短くするよね。」最近コンピュータを買ったばかりのクミコが、モデムが全然つながらなくなった、と半泣き声で電話してきてこう言った。「大金出して、悩みを買ったってわけよ、あはは…。」と、日本語のソフトがぶっ壊れたのか、文字化け状態のモニターの画面をうつろな目で見つめながら私はこう答える。

 温厚でジェントルマンなアメリカ人の友達が、コンピュータに向かうなり、「クソッタレ!」「アホッタレ!」とわめきちらす様を見てたまげたことがある。かと思うと、「コンピュータにいじめられるのが快感になってきた。」と打ち明けるマゾな奴もいます。あるいは、「気がついたら1週間ずっと外出するのも忘れてコンピュータの前にいた。」というのんびり屋さんもいる。いやはやコンピュータは今や人間を完ぺきにコントロールしています。

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