第 25 話
            Mr.プーチ

 いつも「pluck-U」の前に座っていたおじさんの姿を、この頃見かけなくなってしまった。足が不自由なため、地面に膝をこすりつけるようにしていざって歩いている。普段はじっと車椅子に腰掛け、道行く人々をぎょろぎょろとでかい目で追っている。このブラックのおじさん、実はこの辺りではちょっとした有名人でして、人種を問わずみんな彼と挨拶を交わし気さくに話をする。中には隣に座り込んで、深刻な顔つきで人生相談を始める若い女の子もいたりします。近所に住む私の友達も彼と仲良しでして、日本からのいただき物のまんじゅうとか、半分っこしてあげたりしている。彼は決して「おめぐみをー。」と言いません。毎日同じ場所に座って、ただぎょろぎょろとみんなを眺めているだけです。

 ところで、私にも仲良しのホームレスの男がいます。正確には、私の友達のお友達です。おまえー、一体どういう友達関係持ってんだー、と疑われそうですが。プーチという名のそのホームレスは、昔はちゃんとした人で、ちゃんとしたアパートに住み、ちゃんとした肉体労働者をやっていました。ところが、アメリカでは全くよくある話なんだけど、ドラッグにはまってしまい、気がついたらなーにもかーも失ってしまっていたそうです。そしてそれ以来、メンタリィシックにかかり、普通の生活ができなくなったそうです。そういうわけで、プーチはトラッシュ缶をあさり、捨てられた洋服や家具を拾って、それを道ばたで売って暮らしています。

 プーチは時々その友達のアパートにやって来ては、勝手に冷蔵庫を開けて、ゴクゴクとオレンジジュースなんか飲んでさっさと立ち去ります。「一体あの人と、どういうご関係?」とその友達を問いつめると、「うーむ、昔からのご近所さんで。」とあいまいな答え。日本人の私としては、あやしいホームレスなんて間違っても自分の部屋には入れたくない。でもイーストビレッジに住むそのインテリなジューイッシュの友達は、全くそういう類の偏見も差別も持っていないようです。でもプーチにはプーチなりのプライドがあるみたいで、決して人のアパートに長居したり、泊まり込んだりしません。何かわきまえているところがあり、一般人の生活には決して入り込んで来ません。                                   

 さて、全く腹が立つのは、プーチがいつも元気いっぱいだってこと。「アンタ、ルーザーなんだから、それらしくしなよ。」と言っても、元気いっぱいで、「それより、このシャツおまえに似合うぜ。5ドルでどうだ?」とハデハデのデカシャツを売りつけようとします。おいおいプーチよ、ゴミ箱からあさってきたシャツなんか売ってる場合じゃないのだぞ、もう少し人間らしくマトモに生きることを考えよ、と説教したくなります。全く、情けない奴め。私は露骨にイヤーな顔して彼を嫌ってやるのでした。

 ところが、クリスマスの日のことです。その友達のアパートに立ち寄った私を、プーチが待ち受けていました。そして、「これ、おまえに、クリスマスプレゼントだ」。彼が照れくさそうに差し出したのは、茶ばんだ「ジャパニーズ・カントリー・クックブック」という本でした。しかもびっくり呆然と立ちすくむ私に、「おまえは、つまり、その、いい友達だから。」なんて、言いやがったぞ。

 その本をじっと見ながら、私はうろたえてしまいました。困ったなあ。だって、ジーンと胸が悲しくなってきたじゃないか。困ったなあ。彼にプレゼントするなんて発想、私にはなかったよ。私とはまったくカンケーない奴だもの。困ったなあ。なんでこんなやさしいことをする心の余裕がこいつにあるんだ。こいつは何も持っていないホームレスなのに。

 にこにこうれしそうに笑う、プーチの罪のない顔を見ていたら、私の方がよっぽど情けない奴って気分になってきてしまいました。うーむ、この私の胸をジーンと悲しくさせるなんて、ニューヨークのホームレスは奥が深い。



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