第 22 話
         「病院」という場所

 疲労とか多忙とか風邪とかでグルグルになっていたら、もう1998年でありました。日本から帰ってきてからまだ時差ボケから回復できず、今いち現実に足がついてないのよね。そうそう、父は7時間にもわたる大手術の後、なんとか命は取り留めました。しかし、病院というところに全く縁のなかった私は、毎日病院に通ったり、宿泊したりしているうちに、なんだか自分が患者になってしまったような奇妙な感覚にとらわれました。

 あそこは不思議な場所です。現実が、ない。仕事がどうしたとか、今日は誰と会おうとか、夜何食おうとか、いい映画やってないかなとか、ましてやクラブに行こうなんてもっての他、ひたすらじーっと「回復」を待つだけの場所であります。生とか死なんてこともふっと頭をよぎったりします。

さて、ニューヨークに帰って来た途端、友達のLeeが入院した、との知らせ。一体みんなどうしちゃったのよー。おいおい、しっかりしろよ。と私はまたぐったり。しかし、その知らせは思っていた以上にシリアスで、どうも、彼はエイズの可能性が高いらしい。半年位前から急に痩せ始め、腰が痛い、胃がふくらんじゃった、と訴えていた彼はとうとう入院。このせちがらいニューヨークで、いつも穏やかな笑顔とやさしさをキープし、私のこともよく心配してくれていた。

 まだここにに来て間もない頃、グラフィックデザイナーの彼はしろうとな私のイラストをほめてくれ、超忙しいくせにポストカード作りをせっせと手伝ってくれたのでした。資料にしなさい、とぶ厚い貴重なイラストレーター年鑑までくれたのだった。そう、私の絵のショーの時は4枚も絵を買ってくれた。やだやだ、絶対いやだ。この人、生きてくれなきゃ、いやだよー。

 チャリを飛ばして急いでお見舞いに行ったら、「どうしたの?そんな深刻な顔で。」と言わんぱかりの、普段通りの柔らかな笑顔の彼がベッドから迎えてくれた。でも体が半分位に痩せこけてしまっている。やだよー。やめてくれよー。と私はまた心の中でダダをこねる。2人部屋の相方は、24歳の若さなのにエイズで入院中。看護婦さんがでかいマスクして入って来た時はさすがに少し恐怖が走ったが、ええい、エイズのどこが悪い!くそっ!とエイズにケンカ売る気になる私でした。

 Leeのボーイフレンドがショッピングバッグを抱えてやって来た。彼らはかれこれ20年近くずっと一緒です。そして普段はこいつの方がわがまま放題やってて、彼がクライアントとケンカしてはLeeがいつもそのしりぬぐいをしている。それが今日は健気にもリンゴを剥いてあげたりしているんだよね。やっぱりニコニコ微笑んでいて、時々ジョークを飛ばしてはLeeを笑かそうと頑張っている。毎日朝から彼のところにこうやって通って、面接時間ギリギリまでそばに座って微笑んでいるんだって。こんな二人をみていると、愛っていいもんだなあ、くそー。とぐっと涙をこらえてしまう私でした。二人の愛の空気はものすごく穏やかで気持ちよくて、私はずっとずっとこの人達とここにいたいなあ、と久々に平和な気持ちになってしまった。

 病院で終わり、病院で始まったような変な年末年始でした。これはちゃらちゃら生きている私に、「おまえ、もうちっとちゃんと人生考えろや。」と言ういましめでありましょうか。全く、人生ってば短いのよね。どんなに心の優しい人もいつか必ず死ぬんだなあ、などど少し涙ぐんでしまう。そうして、普段ほとんど考えたこともない死とか生とか人生とかについて考えてしまう。このところ哲学者のような私です。



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