第 16 話
                 サブウェイ

 ここニューヨークのお話に欠かせないのはサブウェイであります。ずいぶんクリーンで安全になったことは確かだけど、まだまだうんざりすることが多いのよね。たとえば、スカーッと異常に空いている車両があったりしたらご用心。100日くらいお風呂に入っていないんじゃないか、と思われるムンムンのホームレスのおやじがその車両にはふんぞり返っているに違いないのです。ムッとするおしっことゴミの臭い。夏は冷凍庫となり、冬はサウナ風呂となる。ネコよりでかいネズミが線路の上をキャッキャッと走り回り、きちんとした身なりの紳士がホームに向かって立ちションしている。

 トークンに変わってメトロカードが普及してきたり、何をアナウンスしているのかぜんぜん聞き取れないガーガーうるさいスピーカーに変わって、レコーデイングが社内に流れるようになったりして、やっと先進国らしく一人前になってきたという感じです。

 ついこの間の出来事。その日私は朝からものすごく落ち込んでいた。金もない、愛もない、ああ、生きていくのはしんどいわい、などと考えこんでおりました。さて、降りようと席を立った時です。隣りに座っていたブラックのおじさんが、さり気なく、しかし心を込めて言ってくれたのです。「Have a nice day!」。私は思わず、「Thank you」と感謝の返事を返したのでした。そのおじさんは私のどんより曇った表情から何か察して、思わず声をかけてくれたのかもしれません。彼のその挨拶にすぎない一言で、そうだ、今日一日だけでもナイスな日にしよう!と思えたのよね。ストレスの多いニューヨークに生きていると、こんなちっぽけな一言がジーンと心にしみてきます。

 こんなささやかなうれしいお話もあれば、友達のアンディくんのように、なんとサブウェアイの中で出産に立ち会ったというとんでもないお話もあります。それは夕方のラッシュ・アワー時。突然彼の横に座っていた若い女の子がウーンウーンと苦しみ始めた。「う、産まれるー!産まれちゃうよー!」と女の子は大きなお腹を抱え、もがき出しました。すでに羊水が足元に流れ始めていたそうです。さあ、大変。誰かが「ドクターはいませんかー!?」と大声で叫ぶ。運よくしたもので、隣りの車両にドクターがいた。男たちはスーツを脱いで女の子の下に敷いてあげ、気配りをして隣りの車両に移りました。女性たちは手際よくドクターのお手伝いを始めた。

 その時にはすでに誰かが運転手に通報したらしく、車内アナウンスが流れた。「今お客様の一人が出産しそうですので、しばらく停車します。」それから1時間後、赤ちゃんは元気な産声をあげた。「ただ今、無事元気な男の子が産まれました。」のアナウンスに車内中から拍手が起こったんだって。

 「ううう、すごいね、いい話だね。」と感動にむせぶ私にアンディくんは、「それがそうでもないんだよ、実は。病院で出産する金がないのでサブウェアイの中でわざと出産する10代の女の子って多いんだよね。」だって。

 サブウェイはニューヨークの縮図です。一日これに乗っていたら、あなたはもう半分くらいニューヨークのことがわかります。地理のことだけでなく、車両の中でこの街のおもしろさをきっと発見するでしょう。そして、「まったく、もう。なんとかしてよ、この臭い。」とか何とか文句たれながらも、どこかでこのサブウェイを楽しめたらしめたもの。夏の寒さにも負けず、冬の暑さにもめげず、さあ、サブウェイで出かけよう。



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