第 13 話
    カムチンのニューヨークライフ

 私は日本から連れてきたネコと二人暮らしです。とにかくひたすら人を噛むため、 日本では「かむ」と呼ばれていたこのネコは、「come」というのがいやらしいという意見もあってニューヨークに来てから改名し、「カムチン」と呼ばれることになりました。こいつが根っからの日本ネコでありまして、でかくてフラットな顔に、短足、短シッポ。そして黒い鼻の横にお醤油色のシミまでついています。

 もちろんニューヨークの危険極まりないストリートに出ることもなく、彼はぬくぬくと平和に暮らしておりました。冬には、日本にいる頃には決してお目にかかったことのなかったネズミと部屋で戯れたりして、ニューヨークライフをそれなりにエンジョイしているみたいです。

 夏の光が強くなり、これはカムチンを外に連れ出してやろうじゃないか、と思いついた私は、近所のワシントン・スクエア・パークに彼を連れて行くことにしたのでした。

 さて、いよいよカムチンの大冒険の始まりです。初めてニューヨークの地面を踏んだ彼がしたことは、しっかと四つ足で地面にはいつくばって、グギャーグギャー!と、だみ声で泣きわめくことでありました。彼は本当にびゃんびゃんと涙を流しながら、この女がボクをアビューズするんだよー!とみんなに意思表示してやがるのよね。まわりの人たちが、一体何事だ、と疑いの眼差しを私に向けている。

 おばあちゃんが近づいてきて恐る恐る聞いた。「これは、一体なーに?」「ネコ」「ウソ…。これ、ライオンの子供でしょ。」彼女がマジでこう言ったのも無理ない話でありまして、そういえばここで大口開けて泣きわめくネコなんて見たことない。デリで客の邪魔にならないようにひっそり歩き回っているネコとか、ショップのディスプレイ用にじっと眠っているネコとか、そういうのに限られている。こっちのネコはみんな大人っぽくておとなしい。決してグギャーグギャー!とは泣かない。

 なんてことをつらつら考えていると、なんとその隙をぬって、カムチンはリスを蹴ちらし、すごい勢いで木を登り始めてしまった。そして、悲しい猫畜生の性で、登ったものの降りる術を知らない。ああ、想像してみてください。木の上から絶望的な姿で下を見降ろし、ギャーギャーだみ声で泣きわめくカムチン。そして「カムチーンッ!カムチィィィーンッ!」と日本語で叫ぶ私。まぬけ、である。

 「オー、マイガッ!」と叫んで、ドレッドのドラッグディーラーたちが大騒ぎして集まってきた。みんなこの状況を恐がっている。なんだか得体の知れない小動物が木の上でだみ声で泣きわめき、下ではあやしいオリエンタルがキンキン声でなんか叫んでいるだものねえ。

 そこに近づいてきたのは恐いもの知らずのヤンキー娘二人。「あたしらに任せなさい」とばかりに、にこにこ顔で肩車をして木によじ登り、カムチンをバリバリと木から引きはがし、無事救出してくれたのでした。周りから拍手が一斉に起こる。ああ、恥ずかしい。ドラッグディーラーたちもほっとした表情でまたビジネスに戻っていった。

 カムチンはその夜、目に涙をいっぱいためたままぐっすりと眠っていました。ところが…。その翌朝からドアの前にじっと座って、お得意のだみ声で泣くようになってしまった。「出してくれよー、出してくれよー。また行きたいんだよー。」

 もう一度外に連れ出して、ニューヨークの厳しさをきちんと教えてやった方がいいのかどうか、私は今とても悩んでいます。



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