第 11 話
           あの、熱い夏

 独立記念日の花火も終わり、きっぱりと真夏であります。今年の夏こそエンジョイするのだー!と私はひどくいきまいている、のにはワケがあって、去年の夏のせいである。去年の今頃、私はほとんど外に出かけることなく、薄暗い7月を過ごしていました。

 何を隠そう、私はニューヨークに掃いて捨てるほどいるイラストレーターのひとりであります。去年の夏、私は初めて個展をやりました。そう、よりによってニューヨークがいちばん盛り上がるアウトドアなシーズンに、です。これは全くうかつだった。日頃から活躍してたくさん作品を書きためているなら問題ない。そんな日頃の努力の積み重ねなんぞ何もない私は、なんと展覧会の1か月前からいきなし絵を書き始めたのでした。「まあ、30枚くらいは出して欲しいもんですね。」「あ、そのくらいなら2週間もあれば大丈夫です」。なぜこういう計算違いをしてしまったのか、全くもってわからない。だがしかし、一枚目を書き始めて、ひえぇっと汗がたれた。こ、これは…。あわててカレンダーを見て、トンズラしよう、と一瞬本気で考えた。

 そして、私の薄暗い夏は始まったのでした。毎日毎日、寝る時間もなく、陽の当たらない部屋にこもってひたすら絵を書く。外出するのは「パールペイント」に切れた紙やマーカー、フレームなんかを買い出しに行く時くらいでありました。

 そのうち日に日に私はやせ細り、頬がこけ始めた。手足にはいつもマーカーの色がこびりついていた。おまけに、エアコンで風邪までひいた。今頃みんなは、海とか山とか島とかフリーコンサートとか、いっぱいエンジョイしてやがるのかあ、とぼんやり想像すると、吐き気とめまいがした。

 それでも私はやめれなかった。これは、私のアーティスト魂のなせる技、では決してなくて、まわりの友達たちのありがたいおせっかい、のせいでありました。みんなが私をなんとか一人前にしようと頑張ってくれたのだ。グラフィック・デザイナーのヒトコは、仕事帰りに何度もうちに通って、ゲストのリストやらインビティションカードを作ってくれた。テキスタイル・デザイナーのカコちゃんは、わざわざブルックリンから通って、時には朝方までフレームのヤスリがけや色付けを手伝ってくれた。フレーム屋のヤマちゃんは、特注のフレームを作ってくれた。キンバリィは、レセプション用の料理の買い出しとクッキングをやってくれた。

 なんと日本からの応援もあった。DJやってる子がレセプション用の特注レゲエ・テープをつないで送ってくれた。そうそう、エミコに至っては、「これ差し入れよ。」といっぱいお菓子を抱えて、わざわざ日本から駆けつけ、いや飛んできてくれた。ううう、これでやめたら私は村八分、「卑怯者!」と3年はののしられるに決まっている。だから、私はやり続けた。毎日毎日、とほほ、ありがたい、とつぶやきながらひたすら絵を書き続けた。また、めまいと吐き気がした。

 そして、ついにレセプションの日。32枚のフレームに入った絵と、集まってくれた100人以上のお客様たちの中で私はよろよろと興奮していました。何かを成し遂げた喜びで興奮していた、んじゃなく、やっと解放された喜びに私はうち震えていたのでした。

 「な、なんか痩せたねぇ。」と、真っ黒に日焼けしたファイヤー・アイランド帰りの友達たちが驚いた。私は青白い顔で上目遣いに彼女を見上げ、「10パウンド、痩せた…。」とつぶやいた。考えてみたら、毎日素麺と冷や麦ばかりをすすっていたのでした。

 さて、ぎんぎら輝く夏の太陽を見るひまもなく、私は翌日から1週間、昼も夜もなくむさぼるように眠り続けた。ああ、あれは恐ろしく熱い夏でありました。



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