第 8 話
     すっごくこわい目にあった

 「いやー、この間すっごいこわい目にあってさー。」「私の友達の友達が、レイプされてさー。」友達が寄り集まると、この手合いの話でワーッと盛り上がることがある。ニューヨークは一昔前に比べたらずいぶんと安全になってきた。とはいえ、まだまだ気は許せません。

 たとえば、ブルックリン在住のカズくんの場合。夜中の2時頃、アパートメントに入りかけた時、後ろから背中にガンを突きつけられ、有り金全部8ドルを取られた。タカくんも、やはりアパートメントのドアの前でナイフを突きつけられ、有り金3ドルプラス近所のデリで買ってきたばかりのビール2パックをぶん取られた。このくらいの話なら実はまあよくあることなのです。

 あ、これはこわい、とビビったのはトモコの体験談。ベッドルームで眠っていた彼女は、隣りのリビングルームから聞こえるガタガタという音で目がさめた。「誰ですか?」とドアに向かって尋ねたら、その音が一瞬ひるんでシーンと静まり返った。(しかし、自分ちで自分しかいるわけないのに「誰ですか?」の質問は全くふざけている、と話を聞きながら私は実は冷静に思っていたのだが。)そのシーンとした沈黙は約1分続いた。彼女はその1分の沈黙の意味がハッキリわかったそうだ。つまり、取り引き、つまり、脅迫であります。「おい、そのまま黙って寝てろよ、そしたらオマエには手を出さない。でももしそのドアを開けたら…。」ということ。彼女はベッドで硬直して寝返りも打てず、石状態になっていたそうです。

 早朝、ようやくガタガタという音は止み、おそるおそるドアを開けたら一切合切全ての物が運び去られていた。よろよろとトイレに入った彼女はアッと驚いた。なんと、便器のフタまで持ち去られていたのだった!きゃーっ、こわい!

 でもなかにはマヌケな話もありまして、のんびり屋さんのクミコがある日帰宅したら、ドアが半開きになっていて、しかもそのドアの前には20ドル札が落ちている。彼女は真っ青になりあわてて部屋に入ったが、別に物取りに入られた形跡もない。よくよく考えてみたら、出かける前にドアを閉め忘れ、しかもごていねいに20ドル札まで自分でヒラリと落として行っていたそうです。つまり、朝から夜まで彼女の半開き状態のドアプラス20ドル札に手をつけるような奴はいなかったということ。

 彼女がこのせちがらいニューヨークで生き延びてきているのは、ひとえにこのようなずさんな性格ゆえ、としか考えられない。開けっぱなしのドアの前に20ドルが落ちている状態をみれば、「これはワナだ」と思って誰も近寄らないよね。ウラをかく、とはまさにこんなことを言うのでしょう。

 ところで、話してる当人の目が、気のせいかやたらキラキラ輝いているのは、やはり気のせいではないのだ。鉄棒から落ちて作った傷をみんなに自慢気にみせびらかしたあの幼い頃のようなコーフン状態だよね、これって。私の方がすごい目にあった、いや俺なんて、いやいや私なんか…とどんどん盛り上がる。

 私が体験したこわい目は、なんと言っても「白タク事件」だ。ニュー・アークの空港からつい乗ってしまった白タクの運ちゃんにだまされ、普通なら25ドルくらいのはずなのに、135ドルも請求されたのだ。私が「そんな大金持ってない」と言うと、いきなりうす暗い倉庫街でキャブを止め、くるりとコワーい顔で振り返り、有り金全部出せ、と脅してきた。でかくてこわそうな奴でした。しかも外はすっかり夜の闇。人っ子一人いやしない。ああ、とうとう私ももはやこれまでか、と腹を決めながらも、左手でしっかりお金をバッグから抜いて靴の中に隠すのを怠らなかった。

 さて、無駄だと思いつつ「アパートまで連れていってくれたら、お金は全部払えるんだけど。」と言ってみたら、このごうつく野郎、しばらく何か考えていたんだけど、くるりとまた前に向き直り、素直にクルマを走らせ始めたのよね。うーむ。言ってみるもんだ。

 そして15分後。アパートに近づいてきた時、私はロックされて開けれないようになっている窓の上の部分が少しだけ開いているのを発見した。これだっ、とばかりにそこから口を外に出し、誰かが教えてくれたファッとかシッとかをちりばめて、大声でわめきちらしてやった。「くそったれ!」「ここから出しやがれ!バカ野郎!」。

 もちろん通行人たちの好奇の目が、わいわいとこのクルマに集まって来た。あわててキャブを止めたこの野郎に、私ってやっぱりいい奴だから、きちんと正規の値段分25ドルを支払って、スーツケースをひきずりながらあたふた逃げたのでした。しかし、今考えるとこれは相当あぶない橋でありました。

 ところで、「ヘルプ・ミー!」なんていくら叫んでも誰もヘルプなんてしてくれません。大声で「ファイヤー! ファイヤー!」と叫べ、と私は人から教わった。すぐに大勢の人たちが集まってくるそうです。こうやっていろんなこわい目にあったりして、みんな自分を守る術を身につけていくのよね。



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